代表弁護士 日向 一仁 プロフィール
経歴
1976年 山梨県生まれ
1994年 甲府南高校理数科卒業
1998年 九州大学法学部卒業
2004年 司法試験合格(旧司法試験)
2005年 司法研修所入所
2006年 弁護士登録 都内法律事務所に所属
2009年 独立開業し、東京銀座法律事務所の共同経営パートナーに就任
2012年 東京渋谷法律事務所を設立し、代表弁護士に就任
座右の銘
「意志あれば道あり」
なぜ弁護士を志したのか
幼少期の家業は地元スーパーマーケットで、経営が順調な頃は次々と店舗を増やしていました。経済的には比較的に恵まれた幼少期を過ごしていたと思います。
しかし、バブル崩壊に伴いスーパーマーケットの経営が悪化し、家業の経営権は第三者に売却されます。母もパートで働き始め、経済的に苦しくなった両親は私を含めた兄弟3人を育てるのに一生懸命でした。
私も「長男として家業を継ぐ」という選択肢はなくなり、自分の進路というものを考えるようになりましたが、田舎暮らしでしたので、将来の仕事といってもなかなか具体的にはイメージできませんでした。
しかし、家業の衰退を目の前でみていましたので、漠然とですが「景気に左右される仕事ではなく、なにか専門的な資格のある仕事が良いのかな」と考えるようになりました。
高校のときに、冤罪事件を題材とした「勝利の朝」(塀内夏子・小学館)という漫画を読み、冤罪事件に巻き込まれた少年達を救う弁護士という職業に興味をもちました。
そして、裁判所での裁判が傍聴できることを知り、一人で甲府地方裁判所に傍聴に行き、刑事事件の法廷を傍聴しました。
当時、傍聴人はほとんどいなかったため、当初は裁判所の職員に被告人の家族と間違えられたのも良い思い出です。
傍聴した中では、過去に何度も無銭飲食で捕まっている被告人が生活に困り、刑務所に入りたいという理由でまた無銭飲食をしたという事件が印象に残っています。
被告人は高齢で、これまでも何度も刑務所で暮らしており、身寄りもなく、仕事に就くこともできないということでした。
「刑務所であればご飯がたべられる」と話す被告人をみて、「刑務所に入りたい」という人が現実にいることを知り衝撃を受けました。
「こういった被告人に刑を科して刑務所に入れることにどのような意味があるのな」と思った記憶があります。
当時は傍聴人自体が珍しかったので、裁判が終わると、裁判官が私に話しかけてくれました。
いろいろ話していると裁判官の席に座らせてくれました。同席していた検察官と弁護人も裁判の説明等をしてくれました。
このときに裁判官が「裁判に興味があるなら法学部にいって司法試験を受けなよ」と、(おそらく気軽に言った)一言で、私は進路が明確になった気持ちがして、法学部への進学、そして司法試験を目指すようになりました。
そして、司法試験合格後は、依頼者の一番近くに寄り添える弁護士になることを決め、弁護士になりました。
弁護士として心がけていること
弁護士という仕事の良いところは、直接依頼者のために活動できることです。
しかし、法律の専門家であるので、単に依頼者に寄り添っていればよいというものではありません。
弁護士には、交渉の場面では最前線で戦う役割もあれば、法律に基づいて戦略を立てる軍師のような役割もあります。
離婚事件等では依頼者の話を親身になって聞くというカウンセラーのような役割が必要なこともあります。
特に、依頼者のご希望が法律的に難しく、その主張を続けることが却って依頼者の不利になってしまう場面もあり、そういったケースでは専門家としての役割が重要となります。
場合によっては依頼者に過去の裁判例や弁護士としての経験をお話しして、軌道修正をしていただくことが必要なこともあるのです。
法律の専門家として、正確に、かつ依頼者の利益を最大限実現するためには、弁護士も日々の研鑽が重要となります。
法律の改正や裁判例、実務の運用だけでなく、世の中の動きや最新技術等も把握しなければなりませんので、日々の勉強は怠らないように心がけています。
しかし、一番大事にしていることは、依頼者に最大限信頼していただくために、依頼者の方のお話や悩みを丁寧に聴くということです。
十分な信頼関係がないと、弁護士としての真価は発揮できないからです。